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會館紹介

呈峰會館で修得できるもの

空手道(フルコンタクトカラテ含む)

空手道とは、1対1で、素手・素足による、突きと蹴りという打撃技に特化した武道で、武器法や相手を投げる技法はありません。
*武器法や相手を投げる技法は、沖縄伝統古武道です。

組討道

空手道という突き蹴りに特化した技に、投げ技と、武器法を組み込み、「制圧」という他に例の無い絶対的終息を目標とし、当事者双方ともが終息を理解できる護身術です。

呈峰會館の特徴(使用する場合は會館の許可が必要です。)

  • オリジナルカリキュラム
    一般的には沢山ある「形」を順番に覚えて行くという、使用方法を種類を変えて教える指導内容ですが、 当會館ではそういった方法とは別の内容により、段階的に深め上達させられる指導内容となっています。
  • ゼロ距離戦術及びセロ距離戦闘術(当會館発信の言葉です)
    当會館の戦術は近接の間合い(ゼロ距離)を得意とする戦闘法で、その内容がオリジナルカリキュラムに反映しています。当會館独自の戦術です。
  • 親子で一緒にできる(基礎体力の向上)
    運動をする事を常態化することです。そうする事で体が鍛えられ、気分転換にもなります。また、食が進み、夜は熟睡できるようになります。
    当會館では、年齢や性別に関係なく、誰もが同じ稽古をします。一般的には、競技(試合)を意識した稽古内容となる為、 年齢性別やレベルを分けてしまいます。当會館では3歳以上の誰もが、同じ時間に、同じ場所で、 同じ内容の稽古を島市言葉では補いきれない人間関係(親子間または他の生徒)の構築に大きな影響を与えることができるところです。

※当會館以外でも上記3項目に似たような言葉が使われていますが、当會館の技術体系をぜひ実感してください。

起源

「空手道」

無数の流派が存在し、世界中で知られ、親しまれる空手ですが、現在の「空手」のイメージが誕生、定着したのは最近のことです。
空手道の原形が生まれたのは、15・16世紀頃の琉球王国とされています。
当時、琉球王国では手(ティー)と言われており、琉球王国における独特の文化の中で護身術として育まれてきました。
その後、20世紀になって琉球王国と日本国との併合後、1922年(大正11年)に、船越義珍によって「手」は「唐手」として本土へ紹介され普及し始めました。1927年(昭和2年)に、本土で東京大学の唐手研究会が防具唐手を考案し、唐手の試合化を模索し始めた為、「手」とは袂を分かつこととなり、1929年(昭和4年)には、 本土にて「唐手」から「空手」へと名称(文字)の変更が行われ、そこに他の武道と同じように「道」をつけ、「空手道」となりました。実質的に空手道は独自の道を歩き始めたわけです。
1936年(昭和11年)沖縄も本土の名称変更に追従し、「手」及び「唐手」は空手と言うようになり、そして空手道となり、沖縄伝統古武道に存在した「武器法や投げ技やつかみ技」は伝授されず、突き蹴りに特化した武道になってきました。

「組討道(くみうちどう)」

組討道は、突きや蹴りを基本とした護身術で、最終目的をもった新たな武道です。
呈峰會館に占有権があります。
「日本書紀」や「古事記」の記述からも、「組討」という闘技方法が古代にもあった事が伺えます。その「組討」は戦場にて生死をかけた最終局面で相手を討ち取るための闘法でした。その鍛錬方法として古代から角力(すもう)又は古代相撲が行われており、角力では突きや蹴りなどの闘法も含まれていたことが伺われます。 「すもう」と表現すると現在の相撲と混同しがちですが全く異なるものです。
「組討」の最終目的は、「討ち取る」(殺す)という目的でした。
当會館の「組討道」の最終目的は、「制圧」という絶対的終息(他に例の無い)を当事者双方が理解できることです。討ち取る技術を持ちながら、それを使わず、相手を屈服させることを目的とする護身術です。

呈峰會館の信念

  • 呈峰會館は、試合を目的にしていません。
    これはどのスポーツにおいても同じですが、競技(試合)を目的にしてしまうと、競技(試合)で成果を挙げることが優先となります。 競技(試合)で成果を期待できる稽古を中心とするため、その運動が上手になる事より、限られた年代と性別の人達を対象とした、 競技と同じ稽古が優先します。そうすると稽古は試合に向けての稽古が全てとなり、 習う者にとっては試合直前と平常時の実力の差が出来る、浮き沈みの激しいものになります。 また、試合の結果に囚われ怪我をしたりさせたりする危険性が増す事なども考えられます。
    当會館では競技(試合)には、挑戦したい人が、挑戦したい時に本人の希望で参加できます。 無理をする事は無いという事です。その武のカリキュラムに沿って稽古をして行くと、全体の運動量も増し、 健康になります。要は怪我をしなくなるという事です。怪我をして稽古を休む事が無くなれば上達を実感できるようになります。 試合直前時のように極端な実感を一時的に得ることよりも、なだらかな右肩上がりの実感を継続させることを大切にしています。
  • 武道の本質は「人間形成」です
    武術から武道へと明治初期に変わりました。「術」から「道」へ変わったのは、 「人間形成」を第一の目的とした先人達の思いからです。その先人たちの思いを受け継ぎ、後世に受け渡すのが私たちの役割だと考えます。 武道は戦う為の道具ではありません。簡潔に言うと、人を叩いて友達にはなれません。 相手をたたきのめす強さが精神性・人間性を高めるという考え方は、少し違和感を感じます。
    それよりも、年齢性別に関係なく総ての人が一緒に稽古をする事により、社会生活の一部を体験し、 社会環境への順応性を高め、カリキュラムに沿った指導により実技と精神面も強くなれますものを用意しています。
    当會館では、人間形成を学ぶための文のカリキュラムがあり、実技と並行して学んで頂きます。 帯の色の変わる昇段級審査に学科試験もあります。「武」という実技と「道」という学科の両方を同時に高める事により、 「人間形成」という先人の思いに近づくと考えています。

健康

創始者の言葉

私の母が脳溢血で倒れたのですが、病院で母の手を握りながら「母さん幸せな人生だったよね」と話した事があります。 母は84歳の誕生日の少し前に倒れたのですが、その年まで大きな病気も無く、薬も飲まず、食事制限も無く、 内臓・血管はとても健康な状態でした。毎日朝早くから夜日が落ちてしまうまで田畑で野良仕事をしており、 楽しみといえば畑で隣の人と話をして笑っている事ぐらいでした。

毎日朝から夜まで仕事をし、沢山汗をかき、沢山水を飲み、笑ってすごす事を楽しむ人生でいました。

ふつう50歳も過ぎるとお医者さんからの指示で色んな薬を飲んでみたり、 食事制限が必要になったりする方が多いと思います。健康は今が一番健康であり大切と思って頂きたい。 ゲームのように何かしらアイテムを拾うと力が付いたり、うまく行かなければやり直したりはありません。 単にサプリメントのように栄養のあるものを食べるだけでは、体が必要としていなければ排尿・排便されてしまうだけです。

運動をして頂く事により、薬を飲まなくてすむように、また現在飲んでいる方は飲む量が減るように、 子供の頃のように何でも苦にならずに動けるようになる事が健康になる事だと思います。

護身術

「護身術」とは身を護る術(手段・方法)と書きます。実技だけのものではなく、健康を維持し怪我をしないようにする事や人間関係を正しく構築し、 皆との一体感(行儀・しつけ)の中で生きて行く事を言うと当會館では考えます。

実技においては、元来簡単な護身術など存在しません。それなりの稽古をして、使えるようにならないとだめです。「知っている」より、「使える」という事が必要です。
当會館の考える護身術は、危機に遭遇してしまった時に怪我をせずに逃げる時間を作る事だと考えております。
危機に遭遇した時の相手方の状況は、常人の思考・力量ではない為、「力が要らなく、相手に怪我もさせない」というような護身術はとても難しいと思います。 誰もが持ちうる力量と経験を、精一杯使用しないと回避する事は出来ません。

力量とは、「建前」や「冴」ではなく、術に合った自分に必要なだけの筋肉量。
経験とは、身体機能を最大限に活用し、可能性を信じ、勉強と正しい反復稽古をする事で得られます。

しかし、その両方(力量と経験)とも競技を目的とした稽古や、建前や冴の護身術訓練からは生まれません。

また、その可能性を信じるというのが注意しなければならないところで、色々な目的の為、個人の勝手な解釈となり、 建前や冴の護身術となっていってしまう傾向があります。個性という各自少しの違いはあっても、武技の使用方法は一つという事です。 例えば「あいさつ」という習慣で考えてみます。なぜ「あいさつ」が必要なのか、その行為や習慣自体が変化することはないと思います。 大切な事は、本来の武技の特性を身につけ、他の武技と複合的に使う事により、安定的な実力になるということです。 「呈峰」のごとく最終到達点(峰)は皆同じです。問題はその登る方法ですが個人の解釈となりがちですが、登る人に道を表し示す(呈)ところが当會館です。

どこまで行っても空は一つで、見える空の景色も一つです(万里一空)。そこに個性という雲を描いてはいけません。